髪を切りに行った。

自分が髪をきりに行く時は髪の毛が鬱陶しくなり、さっぱりとした気分になりたい時。シャワーを浴びる時のシャンプーやシャワー上がりの時に乾かす髪が量が多いとその分時間がかかって面倒くさい。

なるべく頻繁に鬱陶しい気持ちにならないように短めに切ってもらいたいのだがそれを理解してくれない美容院が多い。 「2cmぐらいの長さになるように切ってください」「2cmぐらい切りました」そうじゃねえだろ。

短めと言ってもわからないだろうから具体的な自分がイメージする短めの長さを提示して、あとは全体のバランスを見てよしなにして欲しいのだがそれを理解してくれない。

毎回「2cmぐらいの長さ」と提示しているにもかかわらずどこが2cmになるのかと疑うような髪の長さになっている。 思うに、切りすぎてしまうと元に戻せない髪を扱うのだから保守的な事をしているのだと思われる。切ってしまってから「こうじゃない!元に戻して」と言われるのが嫌なんだろう。「本当に切っていいの?知らないよ〜」とも言われた、そんな奴には今後金を払ってまで髪を切ってもらいたくはないが。

こっちは1回3千円弱の値段を払いに髪を切りにきているというのに、3千円分の仕事というものを提供する気があるのか疑問になる。 髪を切りすぎてしまって怒られたくない気持ちや失敗したくない気持ちはわからないでもないが、短めを希望しているのだから短めにすべきだ。ましてや長時間いすに拘束するわけだから3回も4回も訂正をいれるこっちの身にもなってくれ。

ある程度自分の理想とする髪型というものがぼんやりとだがあるのだが、それを具体的に言葉にすることは難しい。それに、言葉にできるぐらいなら自分で切っている。言葉にできないし、髪型の知識もないし、髪の切り方の知識もないし、なにより理解する気がない。 理解したくはないが、ある程度の人から見られる時の見た目を清潔に保ちたいという気持ちはある。だからこそ、毎日シャワーを浴びてシャンプーをかけてドライヤーで髪を乾かしてヒゲを剃り、鏡の前で一度おかしいところがないか確認をしてから外に出る。最低限の清潔を保ちたいからだ。

その中で自分が求める清潔を実現してくれるであろう髪型を提供してくれるであろうところが美容院だった。 理容院という選択肢もなくはないが、理容院は髪を切って顔の産毛を奇麗に剃って顔というパーツをさっぱりと気持ちよくするところ、あとマッサージもあるか。美容院は髪を切って見た目を整えてくれるところ。という印象があるので自分は美容院に行って最低限の髪型の見た目を整えて欲しいのだ。 理容院に行った方が遥かに気持ちがいい。しかし、理容院に行った後の日々感じる違和感というのがどうにもなれないのだ。理容院が提供するサービスは素晴らしく、満足はしているのだが、自分が求めている「髪を切ってもらう」という目的とは少しずれてしまうところがあるので、自分は美容院に行く事にしている。

しかし、見た目を整えてくれてはいるのだが、長いのだ。

前回切ったのが2ヶ月前で伸びた分だけを切るようにお願いしても長いのだ。本当に2ヶ月伸びた分だけを考えているのか?というか考えていないと思うからこの問いはうまれるのだが。 何回か「2cmぐらいにしてくれますか?」とお願いして行くと何を考えているからあまり切ってくれないのかが見えてくる。「そんなに短くすると髪の毛が立ってしまって整えづらくなりますがよろしいですか?」長くなればたわみ、短くすればするどくなるのが髪の毛らしい。 悪いがそこは君の仕事だ。そこは君が判断して「髪の毛が立つから、立っておかしくなりそうな部分は少なく見えるようにするだけ」「短めを希望しているのだから短くなりそうに全体的に切るのではなく、髪の毛をすいて本数を少なくしてボリュームを落としてみる」とかむしろ切り始める前に「あんまり短くすると立っちゃうし、お兄さん長めが似合いそうですよ」とか適当におだてて方向変えるとか色々やり方があるだろうに。 なにも「2cm程度になるように切ってください」で「はいわかりました、2cmに切ります」なんて、ロボットにお願いしている訳ではないんだよ。そんなんでいいんなら自分でやっているし。自分でやってるし。お前なんで髪切るのお願いされてるのかわかってる訳?!?!?!!!

美容師という職業はサービス業であり技術を必要とする大変難しい職業であるというのは容易に想像できます。毎日人と接しながら人様の見た目を整えるなんて大変な職業じゃありませんか。自分ならできない。 自分にはできない事をやってのけている、すごく尊敬できる人たちではあるのですが、自分はロボットにお金を払ってる訳ではないので、それなりのサービスが受けられるところに行きたいと願っています。

それとも、自分が行く3千円帯の美容院ではそのレベルなのでしょうか。自分がものを知らないだけでしょうか。このどうしようもない気持ちを解消するためにも少し値段をあげても良いかもしれませんね。あんまり高すぎても店員がしゃれ乙過ぎて落ち着きませんが。

もう少し、客が言っている事を真に受けすぎず、適当に解釈して、適当にその人が求めているだろう形にしてあげて、提供してくれればよいのです。 あんまり言葉のそのままを受け止めるのではなく、その言葉の意味を考えるような人たちが増えて行けばうれしいし、もっと適当に生活できるんだろうなぁと。

あまりピュアになりすぎないで。その人が求めている事を考えて、適当にやってくれればよいのです。

それともそれを願う俺の気持ちがピュアなだけかもしれないけど。