ある程度生きてきて人生に意味なんてないし何もなくても、何もできなくても生きていいし生活していいって思えるようになって、それを人前でも堂々と「自分は何も夢中になれるものはないし人に自慢できるものはないですね」って平気で言えるようになったんだけど、これを言っても相手は焦って何かあるだろうって聞き出しに来るけど「いやぁ特にないんですよねぇ」と辛そうでもなく、平然と受け答えができるような精神になっていて、相手が押し黙ってしまう or 気まずくなり話を変えるというのが常になってきた。文字にすると病的な感じがするがちゃんと理解しないといけないと思っている。夢ばっかり見てる人が多すぎる。

あまり受け身で会話していないのと、そのままでいいとは思っていないので、過去ではなく未来の話を常にしているのだが、常に過去の話を重要視して会話し、「あぁそんな特徴的な事がある人なんだね」とカテゴライズしたい人とはなんとなく押しどもってしまうなと感じる。

新宿なんて歩くと人は無限にいる気がして、無限の組み合わせで何か自分が知らない特別な事が起こっていて、誰かが必要とされていて、楽しい事が起こっているんだろうなって気持ちはわかるが、そうじゃない人もいるし、そうじゃない人が大半なんだろうなって、一生の内でそういう事はあるのだろうけど、今から過去の内にそういう事があった人がみんなあるって思ってる人が多い気がする。(言い回しがくどい)

なぜか肉体を持って精神と他の同種が読んでいるものを認識しているので、生きているのだと実感するのだが、生きているのに意味がなくてはいけないと、何かがあるはずだと思えない。 いや、思っていた。だが19の時に住んでいた埼玉の階段で一人の寂しさが極まって高笑いをした時から別に意味はないし、意味がなくていい、特別ではなく、平凡で生きていくというのを理解した、していたのを認識した。

暇をつぶすために生きていく。死ぬ理由はないし、なんで死ぬ意味あるのかわからない。楽しい暇つぶしはたくさんある。

これを自分が知ってる身内が読むかもしれないって思うとキリキリしてくるな、胃が。だけど所詮暇つぶしなので後悔するが(誤字ったがそのままにする)。

常に同じアカウントでネットで活動するのは無理があるな、こういうのは匿名で公開すべきだ。だけどまとめておきたい気持ちもあるので副アカとか作ってまとめるのもいいかもしれんな、面倒だ。。こういう心理がコテハンとか生まれるんだろうな。2chとかでインターネットに慣れた人は自然にできるんだろうが、自分には無理だな、面倒なのが勝る。そういうのが自由そうで楽しそうに思えるが。副アカ推奨サービスとかあんまり思い浮かばないですね。