それはいいえで良くない?
http://nakaken88.com/2015/06/19/080823
最近はTumblrばっかりやってて、何かやらなければいけないこともあるのだけれど、なんとなく始めてしまってなんとなく楽しいなTumblrってやつは、どれだけの時間をTumblrに捧げているのだろうか自分は。雰囲気を収集して瞑想しているのではないかと最近は感じている。
Tumblrでこのブログ内で紹介しているツイートを見つけました
判事「全ての問いは『はい』か『いいえ』で答えられる筈だ」
— ビフィダス コミ1の45a (@nnrmsys) 2015年6月8日
被告人「一つ質問してよいですか?」
判事「どうぞ」
被告人「判事殿は毎晩奥様をぶん殴るのをおやめになりましたか?」
…
「はいかいいえの二択をつきつけること」が如何に無能力かつ恣意的かを示す逸話だが、中々良い例だと思う。
この意味が分からなく、調べてみると上記のブログ記事を見つけました。
解釈としては
- 前提条件が存在する
- 前提条件は「はい」か「いいえ」で答えられていない
- その質問に答えると「はい」が存在してしまう
ということらしい。なるほど納得した。
しかしその質問で完結してしまえばの話をしている。実際に対話形式で質問しているのであればその後に「何故その回答なのか」の質問が来るべきであり、次の質問をしないのであればそれは質問者が見落としがある、もしくは勘違いが存在しているのが明白だと感じる。
質問が来るべき理由としては、ブログ内で言っている解釈と違う点があり
- その質問に答えると「はい」が存在する可能性が出る
と、可能性がでるパターンになるはずである。
よって、俺が答えるとしたら「いいえ」で答える。
だけどここで終わりでは無くて。普段の瞑想のおかげでもあるんだけど、文字と言葉のコミュニケーションの違いと、別の考えを知って受け入れる、俺はムカついた。の3つを考えることが出来た。なんだか不思議だね。考える時間を私の中で消費したよ、の宣言をしたいだけでここで書いても意味なんて無いけど、消費した時間を積み上げるために書くよ。
- 文字と言葉のコミュニケーションの違い
- 別の考えを知って受け入れる
- 俺はムカついた
文字と言葉のコミュニケーションの違いを感じて、最近はラジオをめっちゃ聞いてるんですよラジオ。一つのことに集中した方が捗るのだけれど、一つのことに集中できる事って案外出来なくて、なんか気が散っちゃうんだよね。その時に音がしていると良いと感じたのでリアルタイムや録音したラジオを聞いていたんだけど、ラジオの良さがビシビシ感じてきて「ラジオ好きだな」って思うに至った。
言葉だと嘘が解るんだよね。わりと適当とか喋りづらそうとか考えながら話してるとか、頭の瞬発力で答えているから間違いがあるかも知れない、勘違いもあるかも知れない前提を無意識で頭にある。面白い話にするためにちょっとした嘘や伝え方を変えたりとかがあるのも話し言葉の特徴で受け居られやすいなと。
文字だと嘘が解らない。その続きを読むことが出来ないので完結している物として捉えられやすい。普通であれば目の前の人に理解しにくかった部分を聞くような話でも、その文字情報のままで理解できる範囲でどうにかしようとしてしまう。
文字は嘘が解らないし、その文字の中で判断してしまう。言葉は嘘が分かるし、その言葉の中で判断出来なければ聞き出す敷居が低い気がする。
判断出来なければ聞き出すってのは文字でも用意に出来るはずだけど、インターネット歴が長いせいか、書き込む人がめちゃくちゃ少ないという前提で話している気がする。1対1で文字で会話している場合は低くなるはずだけども。なんかもやっとしてきたな。
まぁ文字での情報だからこそブログ内での解釈が存在してしまうのかな、ツイートでの話していることも文字情報ならではなのかなと。
別の考えを知って受け入れる。大人になるっていうのは受け入れる事だなと感じていて、なんでそんなこと言ってるのかというとその方が楽っていうのとそれが幸せになっているのがあるんだ。 決して下に見ているとかではなくて、今までは知っているだけで受け入れはしないんだけどそのままで近づかないで居る。それが今まで。それは子供というか楽じゃないし他者が居ない。
他者が存在するのはなんかいいんだよね。
頭が悪いで片付けるのは楽だけど受け入れてない。 だけどそういう人が居るんだと知って、その人が居る前提で「はいかいいえで答えられると思わない」「答えられる人は少ない」と考える事が出来た。別にLCLになってみんな一緒になる必要はないし、そんな考えがあるんだなって理解して対応すればいいということ。
俺はムカついた。どっちかで回答できると思っていたし、会話がどうやってもかみ合わない人に「はい」か「いいえ」で答えて下さい、と言って答えられない場合には細かい粒度で質問し直すを何度もやってきたから、自分が何かけなされているような、自分が今までやってきた事が間違いだったように感じたことでムカつきました。
最後に、自分を出して自分の考え全開で書いてみると、とんちを効かせてるだけで別に「いいえ」で答えられると思うんだよね。 このはし渡るべからず、で真ん中だから良いだろうって言われても、うるせえなぁってレベルだと思うし。
勝ち誇ってるわけじゃ無いのに勝ち誇ってると感じてるんだなこの人は、と思うのもなんか気持ちが悪い事だし。勘違いしてる可能性も十分にあるのに相手を悪意がある、もしくは身勝手な人だと決めつけるのもおかしいんですよ。