このブログはパブリックだけど大衆向けではなくて、大手を振って宣伝する内容でもないけど自分の頭の中の整理をすることだけを目的としている。

「このブログ見ましたよ」と言われたら割と冷や汗かくと思う。限定的な個人に向けた考えの掃き溜めだったり、長時間もやもやとしているけど Twitterでの繋がりもあるしツイートすると絡まれそうでやだなぁと思う事を掃き溜めておいて、その瞬間をスッキリするものだったり、時間をかけて考えをまとめた結果を少しでも自分の身になるものにするためにまとめていくところという認識にしている。

前提が長すぎる。

仮で作ることがある。主にグループワークで 完璧な仕様があって、プログラムの構造的問題もなく人員的にも不足がなく、各人の能力も申し分なく それぞれが完璧に自分の役割を理解していて、適切な期間があればそんなことはしないんだけど。 そんな事はあり得ないので、仮で作る場面が必要になる。

作業分担がされていて、複数の作業がそれぞれ牽制しあっていて、 それは不毛なので、簡単に用件を聞き出そうとしても別の懸念点や別の考えている事に話をすり替えられて 時間だけが浪費されていく状況で、口だけを動かしただけで満足してしまう方がいる。disりに なってきたな。

そういう人は眼中に無いので、自分の工程が楽な状態になる前提で作成してしまって「これで良いか確認してね」 と投げてしまうのがいつものこととしてある。相手の作業待ちの状態を作り上げる。 それは口だけじゃなくて文章でも、証拠として残しておく。「知らない」と言われないように自分を守るためにやっている。

だけどそれがうまくいかない。確認しない。やらないのだ。 与えられた状況から最善を考えて行動してもそれは結果として結びつかなく、 ただただ「こいつが悪者」としての結果だけが残って、仕方なく自分で事後処理をすることになってしまったり、おしまいになってしまったりする。

「こいつが悪者」として物事を収めることはしたくなくて、悪者になってしまった。 悪者として立ち振る舞う他なくなってしまったのだと自分は考えていて、どうにかしておきたい。 木星トカゲは実は人間だったのだ。

考えるに「なんとなく出来てしまった」のが問題だとは思う。 それぞれはそれぞれの問題を抱えていて、それぞれの優先度が存在しているので、自分が考えている「ここが変える必要あるんだからね」が抜けてしまうんじゃないか。 「なんとなく出来てしまった」ために済んだ事としてタスクが完了してしまって、あとは家のポストに入っている住宅展示場の 紙のような意識でスルーしてしまう気がしている。相手が時間を使って解決すべき事柄と捉えられない状況に追い込んでしまった。 そうなると物事は進まなく、「仮で作ってしまったために安心してしまったので他の作業をしていたら手遅れになっていた」が結果として残ってしまう。

仮で作る事をやめることはできないが、 セットで相手に安心させないで作業が残っている事をしなければいけない。

クソ面倒だし「ちゃんとやれよ」とは思うが、何も動かない場所で無理やり頑張って進むキッカケを作ったんだから、それが無駄にしたく無いので、セットでやることとして常に意識して仕組み化だったりコツだったりで出来るようにしておく必要があった。それだけ。と現状は整理がついた