言い回しが恥ずい。

人が諦めていることがなんとなくわかっている状態で、もしかしたらこうすればよくなるんじゃ無いかと押し引きをして何とかしようと頑張ることがある。自分がしてもらえたら嬉しいから、それを人にすることを心がけているので頑張って見ているし、それによって得られる経験は人とのコミュニケーションを取る上での自分の財産になるってわかっている。これは言い訳だ、恥ずかしいからそういうことにしたがっている、人のためにしたいんだ、俺が。

他人が諦めていた部分に希望を与える(自分で言ってることだけど臭すぎるな)とちょっとだけだけど「諦め」を感じない行動をしてくれる瞬間がある、案外自分の行動によって人は動かされるんだ。その人が行動してくれた瞬間がわかった時はやっぱり嬉しくて「ああ、やってよかったな」と自分が認められた気がして、まだ自分はやれるなと思える。

だけど欲張りなもので、今度は「諦めたままの方が幸せだったんじゃ無いか」と考えてしまう。だって自分は責任が取れる範囲は限られてるし、希望がある段階での失敗や諦めはすごい辛いことだってのはわかっている。そこまで自分は面倒を見れないし、見るものでは無い。その人を見下し過ぎているし失礼だ。

やらなければ良かったと思ってしまう。そこまで偉そうな事を言えるようなことをしたわけでも無いのに、ただの偶然で錯覚しているだけかも知れないのに、勝手に責任を感じて勝手に落ち込んでいる。アホですね。