人とコミュニケーションを取っていると人と違うところが分かってきて「あぁ、自分の得意な事ってこういうことなんだな」と解る時がある。

それが今回の「先を考える」って事なんだけど、

開始早々だけど、なんか偉そうだな自分。そこまで考えてないですよ。考えてますけど考えてないって行った方が都合が良いだけですけど、そう言っといて考えなかったりするだけで別にマウント取られるのが怖いからそれっぽく振る舞った方が良さそうでもあるので(以後無限ループ)。

例えばコップを置く時にテーブルの距離感を目で確認しないで住むように小指でクッションをつけてから置くようにしたり、例えば道を歩く時に常に片側を開けるようにして自転車が後ろから来ても抜けるようにしたり。

小さい事だけど、そういうことをしていて、当たり前と感じることもあるかもだけど、出来ていない人もいる。将来の投資のために投資信託に積立投資していたりとか、多分細かいことを「当たり前だろ」と言う人は金周りはあんまり考えてない人が多い偏見があるのでこれ言っとけば大丈夫だろ。ちなみに積立投資はちゃんとやっている。

こういうことですね。今まで書いて来た上記の文章がすでに先を考えて書いてみた文章。メタ的というか、読み手が考えているだろう事を先に考えて、こう書いとけばこう考えるだろうからとそれに対する返答を書いて置く。そういう考え方が身についてしまっている。

これが最初から身についているかと言われたらそうでもなくて、土井さんの送別会の出来事が影響しているんですね。絶対に言える、これは土井さんの送別会の出来事がなければ身についていない、自分自身の「良いところ」と言えるかもしれない、他の人と区別できる特徴だ。

土井さんの送別会が昔にありまして、土井さんって人は自分が職業訓練校でプログラミングを勉強して初めてアルバイトとして働き始めた会社で仕事を教えてくれていた先輩。私がすごく尊敬している先輩。 確か半年だったような?それぐらいしか関わりがなかったんですが、強烈な思い出と「こうすれば良い」を学ぶ事ができた人。

その土井さんの送別会の幹事を任されて、お店の予約やメンバーの調整、連絡や料金の徴収など、コースの選別などをする必要があるんだけど、それが全然できてなかった。教えられる事じゃないし、やらないとわからない事なんだけど、割と失敗した。

お金の徴収だったり、仕切りをしなかったのが、失敗の原因で、悪い事をしてしまったなという強い印象が残っている。

今でも自分の行動が謎すぎて、ちゃんと文章として説明できる気がしないんだけど、お店の予約はした、コースも選択した、ある程度楽しい飲み会になった。だけど、最後の最後で「ではお会計を」の段階で「え、誰がするんですか」という態度だった。あまり物覚えがよくなくて名前が覚えられない自分でも鮮明に覚えている。「誰がするんだろう」その時はそう考えていた。自分がするんだよ。

カードで払うなり、その場で携帯の電卓なりで1人分の計算をして「ではお一人〇〇円お願いします、土井さんは結構です」なりをする必要があった。今なら解る。だけどそういう飲み会という場自体が初めてに近かったコミュニケーション障害者の自分には荷が重かったのかもしれない、何をすれば良いのか確認を取る必要がある事すらも理解できていなかった、先を考えていなかったんだ。

手痛い失敗というか、変な場を用意してしまって、申し訳ない事をしてしまったなという記憶が強く残っている。何もしなかった、先を考えていなかった自分のせいだ。